「せたかい」

 

世田谷区誌研究会は昭和25年に 

  初代会長は大場信続  

  編集は桜井正信 初期会員は10名ほどで設立されました。

機関誌「せたかい」は年1回の発行をめざして昭和26年7月から令和4年に72号を発行しています。(休刊年あり)

創刊号に復刊とあるのは昭和3年から活動していた「世田谷領郷土会」の機関誌「郷土」が戦争などにより20年中断してましたが「世田谷区誌研究会」がその意思を受継いで発刊しました。

 

 「せたかい」の意味は世田谷の中世の呼び名です。

世田谷の地名が文章にでてくるのは

1,永和2年(1376)

  鶴岡八幡宮文書に 「世田谷郷 吉良治家より寄進」

2,天文2年(1553)

    那智大社御師実報院証文に  「せたかい村」

3,天文20年(1551)

  吉良頼康判物   「世田谷郷ノ内ととろき村」

4,天正18年(1590)

  豊臣秀吉禁制(大場家文書) 「せたかいの郷十二ケ村」

  

題字 初代会長 大場信続 (1879-1964)

         井伊家世田谷郷 代官家 13代

         世田谷線誘致運動の中心人物

                     世田谷信用金庫初代理事長

                     世田谷区名誉区民(第一号)

編集  桜井正信氏

     駒澤大学文学部名誉教授

     世田谷区名誉区民